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ジョージ・オーウェル「一九八四年」を読んだ

究極の全体主義とは…。

 

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ジョージ・オーウェル「一九八四年」を読みました。

本作では第二次大戦で日本・ロシア・英米連合が支配領土を広げて世界を3分割しており、作中ではそれぞれイースタシア・ユーラシア・オセアニアという3国として登場します。もちろんこれらの名称は "彼ら" のオセアニアであり、"我々" の世界で言うオセアニアではありません。誤解の無いように。

主人公のウィンストン・スミスが住むオセアニアビッグ・ブラザーを頂点とする "党" により究極の全体主義で統治されており、どこに居ても "党" による監視を逃れることはできない世界観となっています。「全体主義」や「管理社会」を描いた作品だということは事前に知っており、どんなもんかね?というくらいの気持ちで読み始めましたが、読後の感想としては正直に言って舐めていたと言わざるを得ません。

 

物語の構成は大きく前半と後半に分かれており、前半部分は自分の想像していた「全体主義」や「管理社会」のイメージそのものと言った感じでした。監視カメラ(作中ではテレスクリーンと呼ばれる通信装置)で行動・言動は逐一チェックされ、ある日突然思想犯として連行され、反抗する者が減り独裁色がますます強まっていく。ざっくり言えばこんな感じのイメージ。

 

しかし本作を読み進めていくと、自分の描いていたイメージはごく表面的で管理しやすいように手渡された像であると突き付けられたかの様な思いです。もちろん上述のような表立った異端摘発もあるのですが、やはり衝撃的だったのは本作に特徴的な「ニュースピーク」という新しい言語体系による統治形式でした。

悪い思想を取り締まるのではなく、悪い思想という言葉や概念自体を消し去る。使える単語数を限界まで少なくして、党が意図した内容しか発することが出来ず、考えることすらできなくなる。こうしてみると言論弾圧と思想教育の究極形にも見えますが、"我々" の現実世界で同じことをやろうとしても反体制派の勢いを増してしまうだけでしょう。”彼ら” の世界でこれを(一時的にとは言え)可能にしているのが物語後半で語られる特殊な思考方法、あるいは、存在形式にあると考えます。

 

これらはニュースピークで「二重思考ダブルシンク)」と呼ばれており、一例をあげると愛すると同時に憎悪する状態が完全に1つの思考・感情にある状態を指します。二重思考は感情を使い分ける技術ではなく、確かに愛し、かつ、確かに憎むという相反する2つの状態に本人すら気づけない思考状態とされます。

ちょっと言葉で説明するのも難しい話ではありますが、この二重思考の完璧な体現者が物語の前半と後半をばっさりと切り分けた党中枢メンバーの1人オブライエンでした。彼はビッグ・ブラザーに最も近い党中枢メンバーでありながら、ゴールド・スタイン率いる反体制派組織ブラザー同盟にの一員でもあり、反体制的思想を持つウィンストンはオブライエンと接触してブラザー同盟に加入する展開を迎えます。

 

本作がウィンストンを主人公としたある種のドラマであれば、この展開におけるオブライエンは党の中核へ迫るためのキーマンとなるか、逆に党が反逆者を炙り出す刺客の2択になっているでしょう。しかし二重思考の体現者であるオブライエンは完全に「ゴールド・スタインの考えに共感し、打倒ビッグ・ブラザーを掲げるブラザー同盟の一員」でありながら、完全に「ビッグ・ブラザーに心酔し、党の思想に反する者を更生させる党中枢メンバー」でもあります。正気のままウィンストンを同盟に誘い、正気のままウィンストンを告発する。これが二重思考の完璧な在り方だとオブライエンは物語後半で語ります。

 

つまるところ作中で "党" が目指す究極の全体主義とは、全国民が完璧な二重思考の体現者になることであったように思えます。物語後半で党の警察に捉えられたウィンストンは更生組織で肉体的・精神的に過酷な苦痛を伴う処置にかけられますが、いくら罪を認めると叫ぼうと処置は止みません。何故なら党が求めるのは単なる党の信奉者ではなく、二重思考の体現者に他ならなかったからです。

最終的にウィンストンはビッグ・ブラザーに対する愛と憎悪が共存する境地に至りますが、それは決して悟りを開いたようなものではなく、思考能力を奪われた廃人そのものに見えます。ニュースピークによる思考の制限、テレスクリーンによる行動の監視、さらには更生処置による廃人化。

最後まで読み終えた今でもまだまだ消化しきれていない部分も多いですが、考えさせられることの多い1冊でした。

 

 

さて本編も興味深いのですが、附録扱いとして本編の後に「ニュースピークの諸原理」という章があるのですが、個人的にはこの附録こそが核であり、本編はこれらの諸原理を理解するための見世物という印象を受けました。

この章ではニュースピークの文法やこの言語の目指すところなども細かく解説されており、これを読んでからもう一度本編を読み返せばまた違った見方ができるのではないかと思う程です。しかもこの章は近い未来から見て「過去に用いられていた言語の解説」とでも言うような文体で書かれているのも大きな特徴です。

過去に用いられていた言語となっているのであれば、"彼ら" の一九八四年のさらに先ではビッグ・ブラザー率いる党の支配体制が崩れたという事になります。それがどのような経緯と結果をもたらしたのかについて記載はありません。同時に "我々" の住む日本社会がいつ過去の遺物に変わるかも分かりません。

オブライエンやニュースピークの影は案外すぐそこまで迫っているのかも...。

 

ではでは