4画面の雑記帳

思ったことをつらつら書いてく雑記帳

幸田正典「魚にも自分がわかる」を読んだ

幸田正典「魚にも自分がわかる ー動物認知研究の最先端」を読みました。

 

f:id:Blog_4gamen:20220116220257j:plain

www.chikumashobo.co.jp

 

一言で超面白かった!

 

内容は「魚類に鏡を見せた場合、自分が分かる(自己認知できる)か」についての緻密な研究記録ですが、論文とは異なってかなり砕けた文体で読みやすさ重視で書かれています。学術的内容も衝撃的ですが、思想的に相容れない学会の重鎮から飛ばされる大量の批判に対峙する様は(失礼ながら)ヒューマンドラマとしても読みごたえがありました。自分の専門(有機化学)から遠く離れた分野で、これほど興味を引かれる研究書籍にはなかなか出会えないでしょう。

 

本書の魅力は著者の言葉を借りるなら「仮説検証型研究の『追体験』」にあります。

研究背景や先行研究の紹介はもちろんの事、着想を得たポイント・着眼点、悪魔の証明にならない立証可能な仮説の立て方、論文投稿からの査読・批判・追試・リジェクトを経た異例の投稿形態、世論の反響と風向きの変化、現時点での評価と新たな仮説の提案。

どんな分野の研究者であっても避けては通れないが、できるなら穏やかに通って欲しいと願わざるを得ないプロセスの数々。「追加で実験を行った」などと簡素に書いてあったりしますが、その実験に10日かかったりするのを考えるだけでも胃が痛い...。本書で扱われる魚の自己認知に関する先行研究は無く、実験系から評価法まで全てがオリジナル。得られたデータの解釈次第では真逆の意見になりかねない点で非常に繊細ではあるものの、得られるカタルシスも相当に大きい。研究活動で得られる喜怒哀楽を余すことなく描いた濃密なノンフィクションドラマと言えるでしょう。

 

本書を読み進める中でもキーマンとして度々登場するのが霊長類学者であり、チンパンジーの鏡像自己認知能を初めて証明したゴードン・ギャラップ教授。本書を読む限り、ギャラップ教授の実施したマークテスト法が無ければ以後全ての実験は生まれなかった、あるいは、大幅に遅れていただろう事は間違いありません。しかし同時に彼の持つ「自己認知ができるのは脳の発達した高等生物だけである」という思想・信念が、著者である幸田教授の扱う魚の自己認知研究にとっては最大の障害となったのも事実の様です。

この研究・議論に関してはどちらに肩入れする立場ではありませんが、あるテーマの創始者や第一人者が後々になってボトルネックになる構図はアカデミアでも企業でもよく見る光景。いや、本当にどこ行ってもまたかと思う程のあるある構図で泣きそう...。こういう問題ってどうしたらいいんでしょうね?その答えに近いものが本書の結びで僅かに触れられています。それは閉じた学会・論文誌だけではなく世論に問い、世論の風向きを変えるという方法です。

ギャラップ教授がチンパンジーの鏡像自己認知に関する初報を出したのが1970年。この時代に比べれば2020年代の現在はインターネットの普及により、世界中の情報へ誰でも容易にアクセスできるようになりました。何らかの形で発表さえできれば読者は世界中にいる。その意味では本書で見たような世論を味方につけるやり方ができるのはアカデミアの利点かもしれません。企業内だと社外秘ばかりで何一つ部署外へ持ち出せないし発表もできないので依然としてたこつぼは残ったまま...。助けてくれ()

 

話を本書の研究内容に戻すと、ヒトが鏡を覗いて自分の顔を確認するのと同じプロセスで、体調10cm程度、脳の重さは1gにも満たない小魚が「自分」を理解する=自己認知できると明らかにしています。SFでも当て勘でも無く、ロジックをもって詰めていく実験計画の的確さ、大量に押し寄せる批判への適切な対応は読んでいて痛快で、これまた本書の言葉を借りるなら「ユーリカ!(わかった!)」となる快感が何度も訪れました。世紀の大発見などに比べるべくもありませんが、やはり自分で研究をやっていて一番楽しいのは仮説と現象がピタリとはまったと "理解" した瞬間、まさに「ユーリカ!」と叫びだしたくなるような瞬間でしょう。あの感覚は他に代えがたいものがある。そんな感覚を追体験させてくれた本書に感謝しています。

 

 

最後にこっちはマジなSFのお話。

 

本書を読み進めながら、魚が顔を見て自分や他人、同種間の序列を判断しているというキーワードでふと頭をよぎったのが、アニメ化もされた小説「新世界より」(著:貴志祐介)。

 

f:id:Blog_4gamen:20220118181048j:plain

www.tv-asahi.co.jp

 

この作品内での人類は「呪力」と呼ばれる超能力を持っており、視認した目標をイメージ通りに動かすことができます。様々な応用が利く一方で人間同士の争いに呪力が使われると簡単に種が滅んでしまうため、①同族への攻撃に対しては使えない ②仮に使った場合自死する という制約が遺伝子レベルで書き込まれているという設定です。

詳細はガッツリ省きますが、物語の終盤にバケネズミと呼ばれる亜人種がヒトへの蜂起を起こし、「悪鬼」と呼ばれる上記①②の制約を外れた異常個体を対ヒト兵器として利用した種族間戦争が起こります。この作品の興味深い点に、対ヒト兵器に利用されていた悪鬼が制約の外れた異常個体では無く、実は生まれた瞬間からずっとバケネズミに育てられた為に自分を「バケネズミ」だと思い込んでいるだけの「ヒト」(正常個体)だったという最終顛末が挙げられます。この仕掛けによってヒトに対して呪力で攻撃しても①の同族攻撃にならず、②の自死も生じないバケネズミ側にとって都合のいい兵器が完成したわけです。

さらに興味深いのは、この悪鬼もどきに鏡を見せると鏡の中の自分に対し威嚇行動を取り、また、ヒトに似せたバケネズミを悪鬼もどきに攻撃させた後で攻撃対象の正体を明かすことで①の同族攻撃(バケネズミ→バケネズミ攻撃)を認知し、②の自死に至る流れまで組み込まれています。

 

 

本書「魚にも自分がわかる」とSF小説新世界より」をどちらも読んだ方なら分かるかもしれませんが、魚が自己認知しているか調べる検証実験と、悪鬼もどきの自己認知を悪用するロジックは驚くほど似通った構造をしています。

悪鬼も鏡に慣れるまで繰り返し訓練すれば自分をヒトだと認知して兵器として使い物にならなかったかもしれませんし、自己認知実験に用いる魚が人を軽く捻り潰すような危険生物であれば実験計画の変更を余儀なくされたかもしれません。

とあるフィクション作品がノンフィクションによく似ている状態。これはたまたま似た性質に収斂進化した相似性なのか、はたまた、作者が自然観察という同じ起源の中から法則性を感じ取った結果の相動性なのか。ちょっと気になりますね(笑)

 

 

長くなりましたが大変面白い1冊でした。気になった方はぜひ読んでみてください。

 

ではでは